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揺れる男 [短編]

   揺れる男  ***「ハンガー物語」より   高平 九


 終着駅で降りると、すっかり夜更けてしまっていて、始発電車まで電車はないということだった。それを教えた駅員はとても親切で、敵とはとうてい思われなかったが、改札を出て何気なしに振り向くと、青く光った目でこちらをにらんでいた。
 僕は恐くなって、足早にそこを去った。
 雨は上がっていた。変わりに冷たい風が吹いている。雨の方が好きだ。風にはかなしみがない。
 駅前商店街はすっかり店のシャッターが閉まっていた。電灯は点いているが、人の気配はどこにもない。
 しばらく行くと、洋品店の看板の前に黒い服を着た男が立っていた。
「立っている」というのは男の描写としては不適当かもしれない。正確にはぶらさがっているよう印象だったのだ。細い肩だけが目立って、後はスーツ姿の胸といい、腰といい、脚といい、まるで力がない。背後の洋品屋のシャッターと離れていなければ、そこにかけられたスーツだとしか見えないにちがいない。しかも、彼の身体は年中ふらふらと搖れていた。
「薔薇買ってくれませんか」
 僕が近くにゆくと男はそう言った。正面から顔を見ると妙に印象の薄い顔立ちだった。ほんの数秒目を反らせばすっかり忘れてしまうような希薄な顔だった。おそらく搖れていて焦点を合わせにくいからだろう。
 男は手に竹で編んだ掌くらいの篭を持っていた。中を覗いてみると、そこには「薔薇」の花はおろか、「薔薇」と呼んでいいような華やいだものは何もなかった。ただ、古ぼけた写真が数枚、木の葉のように置かれている。
「薔薇を買ってください」
 男はまた言った。抑揚のない声だ。目を伏せているので心の動きもわからない。
 男は一枚の写真を篭から出すと、僕の前に差しだした。搖れている手からそれを取り上げる。
 その写真は戦争中に撮られたものらしい。真ん中にいる兵隊は、まだ若いころのこの男かもしれない。どこが似ているというのではなくて、全体の希薄な印象でそう思われた。左右には女たちがいた。二人とも着物にもんぺ姿だ。たぶん、右側が男の母親、左側が男の妻だろう。二人は兵隊の両肩に手を置いている。二人とも力んでいるように見えるのは男の搖れを支えているからにちがいない。若いときからこんな風に搖れる癖を持った男なのだ。
「それが自分の薔薇であります」
 男は直立不動の姿勢をとろうした。だが、まるで首吊りにされたようだった。
 男はその写真の絵解きめいたことをはじめた。
 男は小さな声で話した。時おり大きくなったりはするけれど、特に感情に大きな波があったからというのではなく、なんでもない部分で突然大きくなったり小さくなったりするのである。男の身体の搖れと声の妙な抑揚が相俟って、それは一つのリズムを産み出していて、男の話はその上に乗って進められた。その話はとても分かりにくかった。リズムのせいもあるが、内容自体が行ったり来たりして、ふつうなら五分も聴いていられまい。僕がこの男の話に耐えられたのは、始発電車までの時間をもてあましていたのと、さらにハンガー探しという課題を加えられた「取材」、それからその結果得られる報酬のためだった。苦労してどうにか聞き取れた彼の話は次のようなものだ。

 「写真に写っているのは私自身です。半世紀も昔のことになります。その写真は徴兵されて町を出る前日に撮ったものです。左右に立っているのは母親と婚約者です。町の写真屋というのはノートルダムのせむし男みたような出歯の小男で、町中の子供たちの恐怖でした。その男に写真を撮られると数日後には必ず不幸になるというのが、私の子供時代からの言い伝えでした。写真屋はとうの昔に家業を一人息子に譲って隠居の身でした。その息子は親のどこに似たのか、とてもきりっとした色男で、代変わりしてからずいぶんその店も女性の客で繁盛したものです。戦争も仕舞いの方になると、一人息子も片輪もありません。写真屋の息子は私と違って身体はりっぱでしたから、すこし前に徴兵されていました。息子が家を出る前日、隠居していた父親が写真を撮ったそうです。翌月に息子は不幸に遭いました。私の母はそんなことを知ってか知らずか私をその写真屋に連れてゆきました。店の中にはここで写真を撮って、戦地に往き亡くなった多くの青年たちの遺影がありました。その中にはここの息子のものも当然混じっていたのです。
 徴兵が決ってからは、私は外側だけの男になっていました。内面はもうすでに葬っていていたのです。覚悟とか決心というより、それは絶望に近いものでした。しかし、そんな私がこの写真屋の中に一歩脚を踏み入れたとたん、その息子の遺影を目にした瞬間に気持ちを越えた嫌悪感を感じてしまったのです。私は口を抑えて外に飛び出しました。追いかけて来た母は、私の足元のものを黙って見ていました。ご覧のとおりの大女である母は私の腕を引いて再び写真屋に引いてゆきました。抵抗したのですが、とても母にはかないません。婚約者は眉間に皺を寄せて店の中に立っていました。私がまだ抵抗しているのを見ると黙って母を助け、二人は私の両腕をしっかりと掴んで写真機の前の椅子まで連れてゆきました。婚約者が泣きだしそうな顔の私に向かって言った言葉を一つだけ覚えています。「子どもじゃないのでしょ」と彼女は言いました。彼女はまだ女学校に在籍している、ご覧のようなお下げ髪の少女だったのです。
 その言葉は私の身体の中に一瞬点った人間的な感覚を消しゴムででも消すように、消し去ってしまいました。私はまた外側だけの男になって写真機の前にすわっていたのです。ですから、ここに写っているのはけして「私」ではありません。いわば私の包装紙のようなものです。
 その夜、出征を祝う宴会がありました。それまで口にしたこともないような豪華な食事が並んでいました。私は婚約者と並んで座って、ついでに結婚の真似事もしてしまえということになり、三三九度をしました。その席では彼女は年相応の恥じらいをみせていましたが、夜の床入りとなってびっくりしました。あれならば、そのすこし前に知り合いが連れて行ってくれた遊女屋の女の方がずっと恥があるというものです。
 翌日の私はあのボール紙のような町並を、興奮で顔を紅潮させた大人たちと、妙に覚めた子供たちの旗の波に見送られて列車に乗りました。光のせいか黒くはためいて見えた小旗を見ながら、私は母のことを思っていました。いったい母は私をどう思っているのだろう。母が大女であることは先程話しましたが、同時に並外れた美しい顔立ちをしていました。幼い頃の私は母にあこがれていましたし、母もそれなりに私を愛してくれていたと思います。列車に乗り込んだ私に泣きながら手を振る母を、五十年余りたった今でもよく覚えています。しかし、その時に私は感じていたのです。
 南でも、北でも、どの戦地に赴いても私は必ず死ぬのです。だって、そこは「死体製造工場」でしかないのですから。そこで私の亡骸は小さく刻まれて、缶詰にされるのです。そして、戦争が終って平和な故国にひそかに送られて私の家の母のさびしい食卓に乗るでしょう。そのころには私の家での私の存在はほんとうに小さく納まるところに納まっているでしょう。母は私を箸でつまんで口に運びます。年に似合わず丈夫な歯に私がからんで、かりかりと音を立てる。器量のいい母は優しく微笑んで「おいしい」と呟くでしょう。
 そんなことを感じてしまった私にとって、母の姿はまったく遣りきれないものにしか見えませんでした」

 「母は薔薇の花が好きでした。唯一の楽しみは薔薇の栽培でした。母の小さな薔薇園は町でも評判でした。戦争があんなにひどくなる前は、人の心にも余裕がありましたから、母の薔薇を見にやって来る人も多かったのです。その中にあの写真屋の息子がいました。息子は母の薔薇を写真機で撮影すると、それを母に見せにやって来ました。母はとても喜びましたが、それは薔薇の写真のことだけではなかったのです。
 母と写真屋の息子の逢引きには私も関係していました。母は私の通院を口実にして外出しました。そして、私を病院に預けるといそいそとその男と逢引きをしていたのです。母は私を愛していました。少なくとも私が父親にさりげなく母とその男との関係を告げる前までは。
 私は母が大好きでした。だから私以上にだれかを好きになってほしくはなかったのです。母は私が告げ口したことを知らないはずでしたが、きっと何かで知ってしまったのです。父は母をひどく殴りました。母が離縁してくれと言うと、父は写真屋に出向いて、相手の父親と本人に土下座させて謝罪させました。二人は愛し合っていたはずでしたが、母よりも写真屋の息子の方が臆病になって母を裏切ってしまいました。そこで母の気持ちだけが宙に浮いてしまったのです。その気持ちはすこし母の心の空に雨を降らせてから、黒い雲となって外にはみ出してきました。そして。真っ黒な怨念となって私の頭にかぶって来たのです」
 
 「それで、あなたが復員していらしてから、お母上はどうなさいました」
 男は笑った。印象の薄い顔立ちなので、まるで歯だけが浮かび上がったように見える。
 「どうもこうもありませんよ。母の復讐は終ったのですから」
 男はそう言うと、いきなり僕の前で身を翻した。僕は思わず手を伸ばした。手に冷たい感触があって何かを掴んだ。硬いものだ。と、その瞬間男は消えた。後にはシャッターの前のうす暗い空間だけが残る。
  遺された僕の手は、きつく握られていた。間にはすこしだけ隙間があって、そこに何かがほんの少し前まであったようだ。冷たく硬い感触はまだ手の中に残っている。左右を見た。走り去ったにせよ。とても人間技とは思えない。呆然とした。動くことができない。
 気が付くと右手を前に突き出したまま立っていた。目の前には原色の大きな花模様を描いたシャッターがあるだけだ。黒い服の男も、彼の持っていた篭もそこにはない。あるのは握った手の中に残る冷たく硬い感触だけだ。
 僕はすぐに直観した。それは、電車の男が言っていた「ハンガー」に違いない。『黒薔薇の少女』の物語の中から少年が持ち出した、黒い「ハンガー」に他ならない。ゆらゆらと搖れていたのはただの彼の癖ではなかったのだ。あれはハンガーに吊られていたせいなのだ。
 手を広げると、そこに微かに風が吹いた。「ハンガー」の冷たい感触がすり抜けてゆくようで、思わずもう一度手を握りしめる。そしてそのまま、洋品店のシャッターのすぐ前まで進み出て、力いっぱいシャッターに描かれた花の上を叩いた。一度、二度、さらに何度も、何度も。      
                                                   (終)


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