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ショートショート作品 『彼は桃からなんて生まれない』 [短編]

ショートショート作品 『彼は桃からなんて生まれない』

**あらすじ***
 ある日浴槽に大きな「桃」が浮いていた。家族は「桃」を食べた。翌朝から80歳代の孝夫と妻の知恵の若返りがはじまった。孫の百合花が祖父母の若返りをネットで相談すると、誘導されたサイトには「桃」を食べた者への政府機関からの警告が載っていた。百合花は懐妊した知恵を逃がそうとするが……。


**本文***
 孝夫は真新しいバスルームに満足していた。冬なのに床は温かく天井の換気口からも温風が吹き込んでいた。昨年だけでも3人の友人や先輩がヒートショックで亡くなっていた。今年85歳になる孝夫にとってもヒートショックは脅威だった。
 シャワーで身体を洗った孝夫は浴槽を見た。嫁の真希が入れたのだろう。湯は入浴剤で鮮やかな紫色に染まりラベンダーの香りがした。バリアフリーなので床と浴槽の縁の段差もない。足先で湯の温度を確かめながら浴槽に入ろうとした時、それは突然浮かび上がってきた。
「知恵はいるかい」
 バスルームに設置したインターホンのボタンを押しながら孝夫が言った。1階の台所とリビングに通じているはずだ。
「はい。なんでしょう」
 嫁の真希の声がした。風呂に入ろうとした時、知恵が2階の炬燵で転た寝をしていたのを孝夫は思い出した。
「真希さん。風呂に何か浮いているんだが、何か入れたかい?」
「入浴剤なら入れましたけど、他には何も……。そうだ。お母様が柚子を入れたのかもしれません。お隣からもらったとおっしゃってましたから。ラベンダーの入浴剤とは合わないんですけどねえ……」
「いや。これはどう見ても柚子じゃないな。もっと大きいし、それに色も黄色じゃない」
「父さん。どうした?」
 インターホンから浩太の声がした。
「悪いが浩太。バスルームに来てこれを見てくれないか」
「今かい。今はちょっとな。後半がすぐに始まるんだよ」
 浩太はリビングで孫の守とサッカーの国際試合を観ていたはずだ。親子ともども高校までゴールキーパーをやっていた。今は守は普通の企業で働いているが、週末には父子でフットサルに興じている。つまり父子揃ってのサッカー馬鹿だ。
「これがあると浴槽に入れないんだ」
「とりあえずどっか隅にでも置いといてよ。後で守となんとかするから」
「わかった」
 孝夫はもう一度浴槽に浮かんだそれを見た。直径が50センチほどのピンクの球体が水面に少し顔を出して浮いている。
「しょうがないなあ」
 孝夫が浴槽とそれの隙間に身体を入れると、いきおいそれを抱えるような格好になった。指先で触ってみた。表面には柔らかな毛のようなものが生えていた。指に力を入れると指先が皮のようなものを破って柔らかなものに触れた。入浴剤とは違う香りが漂った。試しに持ち上げてみようとしたが、かなりの重量である。孝夫は諦めて目の前にそれを見ながら温い湯の中に身体を沈めた。
「あなた……」
 脱衣場から知恵の声がした。孫娘の百合花が心配して知恵に知らせてくれたのだろう。この家で孝夫に優しいのは百合花だけだ。
「お爺ちゃん。大丈夫?」
 百合花の声もした。
「湯船に何か浮いているんだ。知恵、ちょっと見てくれないか」
 バスルームの扉が開いて知恵が顔を出した。
「これだ」
 孝夫がそれを顎で示すと知恵は浴槽の近くまでやって来た。百合花は脱衣場から心配そうに見ている。
「あらまあ。大きな桃?」
「桃?」
 言われて気付いた。今孝夫の目の前に浮かんでいるものは確かに「桃」によく似てる。
「とにかくこれが浮かんでいると邪魔なんだ。なんとかしてくれないか」
 知恵は笑いながら浴槽のそばに来て桃を触りはじめた。
「ほんとに大きい桃ですねえ」
 百合花が、
「ねえ。パパあ。お爺ちゃんが桃が邪魔でお風呂入れないんだって。なんとかしてあげて」と言いながらリビングに去って行く声が聞こえた。やはり自分のことを心配してくれるのは百合花だけのようだ。
 しばらくして浩太と守がやって来た。2人とも百合花に言われて仕方なくという感じで脱衣場から顔を出した。
「なんだこりゃ」
 と浩太が素っ頓狂な声を出し、
「おいおい桃を見つけるのは婆ちゃんの役だぜ」
 と守が嬉しそうに言った。
 浩太と守が2人がかりで桃を運び出してバスルームに静寂が訪れた。
「これでゆっくり出来る」
 孝夫は湯の中に半分顔を浸して思った。入浴剤のせいだろうか。手の甲が滑らかに感じられた。鏡を覗かなければ顔や身体の老いは見えない。だが、手だけは別だ。自分の視界の中にふいに現れて老いを実感させる。現役の頃でさえ無造作に差し出される若い奴の手の強さと張りに嫉妬したものだ。
 ところが、いつもは細かい皺に覆われて染みが浮いている手が、今は若い男のもののように見えた。老眼のせいだろうか。孝夫は湯で顔を洗ってもう一度手の甲を見た。やはりさっきまでと違う。皺も少なくなり染みがほとんど消えている。張りのある手だ。
「真希さん。あれはどこの入浴剤だい」
 風呂から上がった孝夫がリビングに入ると、テレビ画面にはサッカーの国際試合が映っていた。後半15分。日本代表が中東の国に1点のビハインドだ。ところが応援しているはずの浩太も守もソファーにいない。
「どうした。1点負けてるぞ」
 家族はキッチンにいた。テーブルを囲んで皆がそれを見下ろしていた。それの下には大きなビニールシートが敷かれ、明かりの下でそれはさも美味しそうに光っていた。美味しそう? 孝夫は自分の感想に驚いた。そう思ったのはさっき知恵が「桃」とそれを形容したからなのか。それとも今まさに知恵が包丁を持ってそれの前に立っているからなのか。家族たちも知恵の動きを固唾を呑んで見守っている。
「おいおい。まさか切るつもりなのか?」
「そりゃそうだよ。桃は切るもんだよ。なあ」
 守が百合花に同意を求めた。
「桃太郎ならね。そうなるね」
「いや。それはどうかな。中から有害物質が出て来たらどうするんだ」
「有害物質? 父さん。有害物質の入ったものがうちの風呂場にあるわけないだろう」
「それを言うなら、うちの浴槽に桃、いや桃のようなものが浮いているのもおかしいだろう」
「今日風呂場に入ったのは……」
 みんなが真希を見た。バスルームの掃除はいつも真希の役割だ。
「あたしが入浴剤を入れたときにはそんなものありませんでしたよ。ほんとですよ」
「こういうときは誰が得するか考えるといいらしいよ」
 ミステリー好きの百合花が言った。実に理性的な考え方だ。
「桃を浴槽に浮かべて得する奴なんていねえよ」
 守が言った。こんな感情的な長男でこれからの家は大丈夫なのか。孝夫は少し不安を感じた。
「やっぱり父さんだろ」
「私がそんなことをするはずがないだろう」
 大手商社の部長まで務めた男だぞ。と言いそうになったが止めた。こういう言い様はとかく人気がないことも最近やっと分かってきた。
「お父さんがそんなことするはずないでしょう。大手商社の部長まで務めた人なのよ。ねえ」
 知恵が包丁を振りかざして主張し私に同意を求めた。知恵はまだ分かっていないようだ。家族が私を責めるように見た。
「そんな人だからだよ」
「どういう意味だ」
 守の発言についつい気色ばんでしまった。
「現役のときに出世した人に限って老後は孤独なんだってさ」
「役職や地位を引きずって家族には疎まれる。新しい友達もできない、だろ」
 浩太と守はサッカーのパスでもするように孝夫を責めた。
「それがこれとどういう関係があるんだ」
 孝夫はだんだん腹立たしくなってきてそれをにらみつけた。ぜんぶそれのせいだ。桃らしきものの。
「だからさ。寂しいと家族の気を引こうとするんだよ」
「なんだと」
 守のシュートが孝夫の胸を突いた。
「守。それは言い過ぎだ」
「そうよ。守。お爺ちゃんは寂しくなんかないでしょ。あたしたちが一緒に住んでるんですもの」
 息子夫婦が言った。熱のない言い方だった。確かに二世帯住宅に一緒に住んでくれるのはありがたい。だが、浩太は2年前に一流食品メーカーから子会社に出向になった。実体はリストラである。残り2年で退職だが退職金もかなり減額されるらしい。だから、建て直しの費用はすべて孝夫が出した。
「とにかく、あたしはこれを食べるから」
 知恵が包丁を振りかざした。
「キャー」
 百合花が叫んだので知恵の持つ包丁が止まった。
「どうしたの? 百合花」
「だって中に桃太郎がいたら死んじゃう」
「あっははは。ガキだなあ、お前。桃太郎なんかいねえんだよ」
「いるよ。桃太郎はいるよ」
「サンタクロースのことでもあんた達そうやって喧嘩してたわねえ。懐かしいなあ」
「ほんとだなあ」
 親子のこんな言い合いをよそに知恵が桃らしきものに包丁を振り下ろした。
「あっ」とみんな顔を覆った。だが、中に桃太郎はいなかった。桃の甘い香りがキッチンを満たした。
「いい香り。ねえ。食べてみよう」
 百合花の提案に誰も異議を唱えなかった。
 孝夫はすぐに異状に気付いたが、すでにキッチンテーブルの上で巨大な桃は切り分けられ、それぞれが果肉を皿にとってフォークで食べはじめていた。仕方なく孝夫も一切れを口に運んだ。今まで食べたどんな桃よりも甘かった。一口食べると止められなかった。テーブルを埋め尽くしていた果肉を6人の家族であっと言う間に食べ尽くしてしまった。
 翌朝、孝夫が目覚めたときすでに寝室に知恵の姿がなかった。身体がけだるかった。何10年ぶりだろう。知恵が孝夫を求めてきたのは。はじめは冗談かと思った。だが、2度目に知恵が孝夫に触れたとき孝夫は強く反応した。久しぶりの知恵の激しい声には驚いた。だが、いちばん驚いたのは自分自身の中の欲情だった。まるでハイティーンの頃のように何ものも怖れない衝動。3階建てのコンクリート建築なので、3階の孝夫たちの部屋の音が階下に漏れることはないと思うが、そんなことは全く関係なく互いを求めた。
「わーっ。お爺ちゃんもわかーい!」
 エレベーターを降りた孝夫を一目見て百合花が声を上げた。
「おはよう。浩太と守はもう出かけたのか?」
 百合花の歓声に戸惑いながら孝夫が言うと、背中を向けていた知恵が振り返った。それは確かに知恵だった。だが、10年、いや30年前の妻がそこに立っていた。
「あなた。何をおっしゃっているの。もう10時ですよ」
先月80歳になったばかりの知恵は綺麗な白髪だった。ところが今朝の彼女は50歳の頃の綺麗な黒髪に戻っていた。それだけではない。目の周りの皺がなくなって大きな目の輝きも蘇っている。
「お母様もお父様もいったいどうなさったんですか?」
 真希が孝夫と知恵を見比べながら言った。目は怯えで小刻みに震えていた。
「たった一晩でそんなに変わるなんて……」
 戸惑っている真希をよそに百合花は「すごいすごい」と知恵と孝夫に抱きついた。
「あなた鏡をご覧になって」
 呆然と立ち尽くしている孝夫に知恵が言って洗面所へと連れて行った。孝夫は鏡の中を見て心底驚いた。そこにいるのはまさに50代の頃の自分である。昨夜まではすっかり禿げ上がっていたはずなのに黒々とした髪が頭を覆っている。顔つきにも商社の部長として部下を叱咤していた頃の覇気があった。まさに孝夫が理想の自分として持っているイメージそのものだ。
「こんなことが……」
「……奇蹟だ」と百合花が言った。
「悪夢よ……」と真希が言った。真希はミッション系の学校に行っていただけあって、今でも聖書を愛読し教会にも時折通っていた。洗礼名はミッシェル。食前食後のお祈りを忘れない。
「いえ、悪魔の所業かもしれません。すぐにエクソシストを……」
 けして冗談ではない。真希の顔は真剣だった。
「ママ。これは神様のなさったことよ。真面目に生きているお爺ちゃんお婆ちゃんにご褒美をくださったに決まってる」
 百合花は孝夫たちの周りを跳ねながらながらそう言った。この子は本当にいい子だ。孝夫には百合花の背中に天使の翼が見えた。
 その夜は家族会議だった。
 家族全員が昨夜桃を貪ったテーブルを囲み、この奇怪な出来事にどう対処するかを話し合った。真希のSOSで早めに帰宅した浩太と守はまだ孝夫と知恵をちらちらと見ている。この事態をどう受け止めていいのか困惑しているのだ。こういうときは女性の方が柔軟な対応力を備えている。
「何が問題なのかわかんない。お爺ちゃんお婆ちゃんが若返って何かいけない」
 百合花が口をとがらせて言うと、すかさず真希が反論した。
「若返るってことが問題なのよ。神様はそんなことお許しにならないわ」
「毎日鏡見ながら『ああ神様。もう一度10代の肌にしてください』って祈ってるのは誰よ」
「い、祈るのと現実にそうなるのとは別よ」
「他人に起こった奇蹟は認めないんだ。嫉妬は見苦しいっていつも言ってる癖に」
「百合花!」
 真希が立ち上がったのを浩太が間に入って止めた。
「真希。冷静になれ。百合花も口が過ぎる」
「……ごめんなさい」
 百合花が謝ると真希も渋々腰を下ろした。
「それにしてもお父さん。何があったんですか?」
「それは私にも分からない。知恵も私も朝起きてみたらこうなっていたんだ。いちばん戸惑っているのは私達だよ」
 そう言いながら孝夫は自分の声の響きが肉体も精神も充実していたあの頃に戻っていることに気付いた。そんな孝夫に知恵が微笑みかけた。朝からさらに数歳若返ったように見える。
「すげえよ。親父やお袋と同じくらい。いや、もっと若くみえる。こんなことってあるんだなあ」
 守が祖父母の顔を見つめながら言った。
「もしかして、あの桃のせいかな」
 百合花の呟きに皆が反応した。
「でもよ。桃ならみんな食べただろ。むしろ俺たちの方がお爺ちゃんお婆ちゃんよりもたくさん食べた。でも、何の変化もない」
「そうだな。食べ過ぎてちょっと腹の具合が悪かったけど、それ以外は特に変わった感じはないな。どうだ。少し若返ったように見えるか」
 浩太が真希に尋ねた。
「いいえ。少しも。昨夜のままだわ。あたしはどう?」
「お前も変わらないなあ」
 浩太と真希の夫婦は互いの顔を見つめながら、ほとんど同時にため息を吐いた。
「お婆ちゃん。その服さあ。もう似合わないよ。ママの服借りたら」
「あら。そうかい。真希さん。ちょっと貸してくださる」
「ええ……それはかまいませんけど」
「ねえ。もっと若返ってあたしの服も着られるようになったりして」
「そんな馬鹿な」
 とその夜は誰もがそう思った。だが、百合花の言葉は現実になった。孝夫と知恵は毎朝起きるたびに若くなり、1週間もすると30代にしか見えなくなり、桜が咲く頃には20代の若者になってしまった。
「とにかくお父さんもお母さんもあまり外に出ないでくださいね」
 と浩太と真希には言われたが、20代の若者を家に閉じ込めておくことはできない。2人は昼間は肩を並べて公園を走り、夜になると仲良くクラブに繰り出した。
 その間、浩太は会社の上司に生物学の権威である教授を紹介してもらい2人に起こったことを内密に相談した。教授は2人の身体を子細に検査して学会に報告すると言った。真希は神父を通してカソリック教会に相談をした。この話はローマ法王庁にまで上がり「神の仕業か悪魔の所業か」で論争を巻き起こしたという。守はフットサルの仲間にこの話をしたが信用されず、飲み会に知恵を連れて行った。独身の連中は美しい知恵を見て色めき立った。だが、誰も守の話を信じなかった。

 百合花はネットで質問をしてみた。
(うちのお爺ちゃんお婆ちゃんは毎日若返っています。素晴らしい奇蹟です。でも、家族は戸惑っています。理由が分かればみんなが祝福できると思います。どなたか理由を御存知の方は教えてください)
 たくさんの返事があったが、たまたま4月1日だったのでへたな嘘として扱われたのだろう。(お婆ちゃんとのデートを希望します。5万までなら出します)などというふざけた返事ばかりだった。真剣に質問をした百合花は当然気分を害した。だが、中に一つだけ。
(お2人は桃を食べませんでしたか?)という返事があった。
(はい。食べました)と書き込むと、
(では、次のURLに進んでください。このURLはあなた専用です。他の方はアクセスできません)
 百合花は少し悩んだが、祖父母に起こった奇蹟について知りたかったのでアクセスした。それは『桃に気を付けろ!』というサイトだった。
「ある日、突然家の中に大きな桃が出現することがあります」
 多数の桃の画像がアップされていた。ソファーやベッドの上、クローゼットやシンクの中、テーブルや椅子の下、猫のトイレに鎮座としているものもある。
「あなたはこの桃を食べたいと思うかもしれません。もしまだ食べる前でしたら、お待ちください。これは罠です」
 そこに大きな赤い髑髏マークが出て来た。だんだん演出が過剰になってきた。これは詐欺めいたサイトの特徴である。さすがの百合花も警戒した。
「試しに包丁で切ってみてください。大丈夫。桃太郎は入っていません(笑)」
 こういうギャグセンスも百合花には理解できなかった。クローズしようと思ったが、孝夫と知恵の優しい笑顔が浮かんで思い直した。もちろん、若返る前の2人の顔である。
「ほら、中にタネがないでしょう。異常な食欲が湧いてくるはずです。もう一度言います。ここで踏みとどまってください。簡単なことです。丸ごと捨ててください」
 タネがないことも異常な食欲が湧いたこともその通りだった。不思議なことに百合花はそれが普通でないと今まで意識していなかった。
「これは私どもの研究で分かったことですが、甘い桃の香りの中に理性を鈍化させる効果があるようです。ですから捨てることができなくてもけしてあなたの責任ではありません。では、ここからは食べてしまった方へのアドバイスです。桃を食べた家族の方の一部、特に御老人に若返りの兆候が見られたら至急私どもにご通報ください。通報は義務です。義務を怠った方にはそれなりのペナルティが科されます」
 ここで再び赤い髑髏マークの点滅。
「若返りも罠です。今までの報告では若返った方すべてが80歳を超えた御老人です。人間の欲求があらかじめDNAに仕込まれているように、細胞が劣化した老人を若返らせることで盛んな生殖活動へと導き、植え付けたタネが人間の形で発生するようにプログラムされているのです。ですから、万一すでに女性が懐妊している場合には早急にご連絡ください。産まれてくるものは人類にとって大変危険です」
 そこには「通報する」という赤いボタンが激しく点滅していた。
 百合花はパソコンを荒々しく閉じた。そして思い直してもう一度パソコンを開くとアクセスしていたサイトから出た。百合花は小学生の頃から使っていた学習机の前で震える自分を抱きしめた。動悸が収まらなかった。自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。もしも今のサイトが政府機関のものだったら、すぐに百合花の名前も家も突き止められてしまう。そうなったら……。
 百合花は深呼吸をして今起こったことを冷静に検証しようとした。でも、楽観的な要素はどこにも見当たらなかった。それどころかバッドエンドが様々な形で次々と脳裏に浮かんだ。とにかく確かめなくては……。
 百合花は2階に降りて祖父母の部屋のドアをノックした。すぐに「はあい」という祖母の若々しい声が聞こえてドアが開かれた。
「あら、百合花ちゃん。今ね、桜餅を食べてたの。あんたもどう?」
 百合花に微笑みかけているのは、百合花よりもちょっとだけお姉さんの美しい女性だった。今、包装を開いたばかりの新品の笑顔だ。おそらく若かった頃の現実の祖母よりもずっと光り輝いているに違いない。
「うん。お婆ちゃん。あのね……」
 知恵は白地に花柄のワンピースを着ていた。先週百合花がプレゼントしたものだ。そのワンピースの下腹のあたりが少し膨らんでいる。
「やっぱり分かる? 1ヶ月ですって。ごめんね。あんたの叔父さんか叔母さんが産まれるみたい」
 知恵は百合花を部屋に招き入れながら言った。ソファーにはまるで映画俳優のような笑顔を浮かべて1人の青年が悠々とワインを飲んでいた。祖父でなければ5分で恋に落ちてしまいそうな魅力的なオーラをまとって。
「よお、百合花珍しいな。桜餅食ってけ」
「お爺ちゃん。お婆ちゃん。あたしの話を聞いて。まじでやばいことになってるかも……」

 その日の深夜、その男たちが侵入して来た。
 3階のベランダから侵入し、まずは守。階段を降りて孝夫と知恵、そして最後は1階に寝ていた浩太と真希を殺害した。浩太は上の階の物音を聞きつけ、階段下の物置からゴルフクラブを取り出して待ち伏せた。最初に降りて来た男の頭にクラブを叩き付け重傷を負わせたものの、後続にあっさりと制圧されてしまった。ただ1人百合花の行方が分からなかった。男達は暗視ゴーグルをしたまま家中を探し回ったが見つからなかった。午前2時頃、本部の命令で家に火を点け男達は撤収した。

「本当にこれで良かったのかねえ」
 知恵は百合花の春物のコートを着て男の車に乗っていた。男は俊也と言って、百合花の秘密の恋人だった。2人はまだその夜の惨劇を知らなかった。
「百合花は言い出したらきかないですからね」
「ほんと誰に似たんだか」
 俊也はその日百合花から「助けて」というメールを受け取った。急いで家に駆けつけると、
「これあたしのお婆ちゃん。しばらく預かってくれない」と言われた。
 傍らにはピンクのセーターに春物のコートを羽織った20歳代の女性が立っていた。それは俊也が今まで一度も見たこともない種類の女性だった。夜の闇にも隠しきれない美貌に目が眩んだ。百合花がいきなり彼のすねを蹴った。
「何見とれてんのよ。いい? 誰にも知られちゃ駄目だからね。ちゃんとあんたの村で匿ってよ」
 俊也と百合花は中学校の同級生だった。3年生のとき、俊也がいじめをきっかけに行方不明になってからも百合花とだけは連絡を取り合っていた。彼は長野と静岡の県境にある隠れ里に同じような境遇の人々とともに暮らしていた。百合花でさえもその場所がどこかは知らない。ネットに詳しい俊也はいつも違うメールアドレスを使い連絡をよこした。そして読んだメールは自動的に消去された。俊也の居場所も村の場所も誰にも知られていなかった。だから、百合花は知恵を俊也に託すことにしたのだ。
「君は大丈夫なのか?」
「いくらなんでも、今夜すぐに動きがあるとは思わない。でも、万一のときには仇をとってね」
 百合花はそう言うと俊也に口づけをし、車を見送った。
 
 助手席にいた知恵がいきなり「あっ」と声を上げた。
「大丈夫ですか?」
 俊也が尋ねると、知恵は下腹を押さえながら、
「動いた。びっくりした。まだ1ヶ月なのにこんなに跳ねるなんて」
 と言った。
「ここで少し休憩しましょう」
 車は神奈川から静岡に入ったところで修理工場に入った。すでに夜が明けていた。男が来てナンバープレートを交換しはじめた。俊也は知恵に手を貸して車から降ろすと、工場の奥にある事務所に案内した。
「ここは僕の仲間の工場です。念のためナンバープレートを交換します」
 事務所のソファーに座って日本茶を飲んでいるとナンバープレートを替えていた男が戻って来た。
「紹介します。猿田です」
「初めまして。犬山百合花です。お世話になります」
 汚れたつなぎを着た猿田は眩しそうに知恵を見た。百合花と名乗った知恵を俊也は驚いて見た。
「なあ雉子尾。この人がお前の?」
「あ、ああ。まあな」
「羨ましいなあ。こんな綺麗な……あれ? あなた犬山百合花さん? 千葉市の?」
「え、ええ……」
 猿田は軍手を外すとそばにあったリモコンをテレビに向けた。テレビがついて朝のニュース映像が流れる。
「本日未明千葉県千葉市で火災がありました。この火災で亡くなった方は犬山孝夫さん85歳、妻の知恵さん80歳、息子の浩太さん58歳、その妻の真希さん54歳、そして孫の守さん24歳です。なお孫の百合花さんの行方がまだ分かっていません。出火の原因は浩太さんの煙草の火の不始末が原因であると……」
 知恵が悲鳴を上げて泣き崩れた。俊也はそばに寄って知恵を抱きしめた。
「浩太は煙草なんて吸わないのに……ひどい」
「知恵さん。いえ百合花さん。これからは僕があなたとその子を守ります。そしていつかきっと仇をとってやりましょう」
 泣いていた知恵が何か呟いた。俊也が耳を澄ますとそれは歌であることが分かった。
「……太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな。あげましょう。あげましょう。これから鬼の征伐に、これから鬼の征伐に、これから鬼の征伐に、着いてくるならあげましょう」
                            おしまい

 *この作品は『桃太郎』をモチーフに書きました。

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